横溝正史の良質なパロディだと思ったなんて書くと、ファンの人に怒られるかもしれないけれど、そこは作者自身も作中で述べている(本書p319参照)ので問題ないかと思う。
しかし、パロディとは言っても、ただ単に横溝正史的世界観を取り入れただけでは終わらないのが本作の凄いところで、
横溝正史風な世界観に加えて、テレビという、現代的な要素が加わり、そこに著者一流のテレビに対する皮肉も合わさって、本作を著者独自のオリジナリティあふれた作品として仕上げていると思う。
しかも、これは本作を読み終えた方ならもうお分かりだと思うが、本作に横溝正史的世界観があることに、なんら不自然ではない物語上の構成になっているのは、本当に見事としか言いようがない。
目次
あらすじ
人里離れて、昔ながらのしきたりを守りながら、山奥にひっそりと存在する小さな村に、ある時、テレビ局が取材へ訪れる。
そのロケに、本作の主人公、森カオルと、名探偵、伊集院大介が同伴することとなる。
村は、テレビが訪れるだけあってか、ただの村ではなく、独特な風習が存在し、しかも、これは本作のタイトルにも関わってくることだが、
村人たちは自らを「鬼」の末裔であると自認しているのであった。
面白かった点
ミスリードと伏線
あんまり書くとネタバレになるので、詳しくは書かないが、筆者は本作全体を彩るミスリードに見事にしてやられてしまった。
ミステリーを読み慣れている人なら、もしかしたら気づくのかはわからないが、意外な犯人と真相という意味で楽しめた。
あと何気ない会話が伏線となっており、終盤、綺麗に回収されいるのも見事だと思った。
伊集院大介の「おかん」的側面
つい先日、テレビを見ていたら、NHKの番組「土スタ」に俳優の菅田将暉がゲストとして出ていた。
そこで菅田将暉は、実は自分には世話焼きな一面があることを語り、スタジオの人達から「おかん」と呼ばれていたというのがあった。1
さて、本作『鬼面の研究』では、何かとだらしのないところがあったり、抜けていることがあったりする主人公、森カオルを、古馴染みの友達である伊集院大介があれこれ世話を焼くシーンが出てくる。
以下に一部引用してみる。
「これだから、頼りなくって、危なっかしくて、いつまでたっても目がはなせない。いいですよ、僕が薬をさがして、コーヒーをいれるから、話してらっしゃい。その秘境がどうだというんです?」
引用:栗本薫『鬼面の研究』(講談社文庫) p13
この他にも、旅支度をととのえるのを手伝ってくれている。
名探偵、伊集院大介の「おかん」的な一面が見れたのはなかなかおもしろかった。
テレビに対する痛烈な皮肉
本作を特徴づけるていることのひとつは、テレビを皮肉っている箇所が多数見受けられることだと思う。
例えば、以下のシーン。
過疎にしたければ村人がまわりにびっしりたかっていても誰もいない村をうつすし、人がいなけれりゃサマにならぬところにはエキストラをかりあつめる。本は外箱ばかりだし、ビールは麦茶に卵白、風は扇風機、もはやカメラの前でたいているガスストーブ……
引用:栗本薫『鬼面の研究』(講談社文庫) p328〜329
この他にもこういった描写は結構あって、著者はテレビ局に対して恨みでもあるのか?wと思わず勘ぐってしまった。
いや、何というか、テレビというのは、ディレクターによって作り出された一種のフィクションにすぎないのだよなあと、あらためて思った。
テレビの場合、小説と違って、ついそれが作りもののフィクションであるということを忘れがちではあるけれど。
名探偵の心強さ
本作では、主人公と一緒に伊集院大介もロケに同伴している。
そのため、村で恐ろしい出来事が次々と起こっても、常に名探偵が主人公のそばにいるというのは、読者としても心強かった。
こういうホラー系のミステリーで、名探偵がなかなか登場しないというのは、いっそう怖いからな…。江戸川乱歩の『蜘蛛男』とかね…。(あれは怖かった…)
おわりに
本作は横溝正史のパロディとして良くできており、また、主人公、森カオルと伊集院大介との関係性や、伊集院大介の活躍ぶりもしっかりと描かれていて、なかなか楽しめた。
伊集院大介シリーズの他の作品も読んだら、また感想を書いていきたい。
