村上春樹訳のJ.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(キャッチャー・イン・ザ・ライ)を読んだのであらすじや感想を書いていく。

内容

主人公のホールデン・コールフィールドが読者に語りかけてくる形式で物語が展開され、彼の日常の出来事が皮肉たっぷりに時にはユーモラスに語られる。

あらすじ

ペンシーを去る

ホールデンは通っていたペンシー校を退学になってしまう。

退学になった直接の原因は、成績不振だったとホールデンは述べている。

身を入れて勉学に励むようにという警告をさんざん僕は受けていた。とりわけ中間試験の期間に両親が呼び出されて、サーマー校長との面談に及んだときにはね。それでも「勉学」になんて、これっぽっちも身を入れなかった。

引用:村上春樹訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)p10

退学が決まったあと、ホールデンは寮のルームメイトであるストラドレイターと喧嘩になり、ボコボコにされてしまう。

ことの発端は、ストラドレイターの今度のデートの相手が、ホールデンと親しかったジェーン・ギャラガーという女の子だったことが大きく関係している。

ストラドレイターは、一流のくどきテクニックの持ち主で、ホールデンはジェーン・ギャラガーのことが気が気でしょうがなく、やきもきしていた。

ストラドレイターってやつは、ほんとすごいテクニックの持ち主なんだよ。やつが何をするかっていうとだね、ものすごく穏やかで心のこもった声で、デートの相手をすっぽり包み込んじまうんだな。まるで「僕はとびっきりハンサムっていうだけじゃなく、性格がよくて、しかも誠実な人間でもあるんですよ」みたいな感じでさ。そういうのを聞いていると、吐き気がしたね。

引用:村上春樹訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)p86〜87

そんなわけで、喧嘩になり、ボコボコにされてしまう。

その後、ホールデンはさっさとペンシーを出ていこうと決心する。

退校になるのは水曜日からだったが、水曜日までわざわざ待たずに出ていってしまおうというわけだ。

身支度を整え、いよいよペンシーを去る直前、ホールデンは廊下を見渡し、大声で叫ぶ。

「ぐっすり眠れ、うすのろども!」。その階にいる全員がたぶん目を覚ましたはずだ。

引用:村上春樹訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)p92

街を放浪

ペンシーを出た後は、ホールデンは家には帰らずに、正式な退校日の水曜日までの間、街をホテルに泊まったりしながら渡り歩く。家に帰らないのは、両親に退校になったことをすぐにバレたくないためだ(水曜日には両親に通知が行くことになっている)。

その間にホールデンは、タクシーの運転手や、鉄フレームの眼鏡をかけた尼さんとの出会いだったり、昔の知り合いと会ったりといろいろな出来事を経験する。

その出来事がホールデンの目線を通してユーモラスに語られる。

以下の引用はホールデンがウートン・スクールに通っていたときの知り合い、ルースくんとの会話シーン。(ホールデンはペンシー校以外にも何度か退学になっており、学校を転々としている。)

「くだらん」と彼は言った。「相も変わらずのコールフィールドだ。いったいいつになったら大人になるんだ?」
 彼は僕にうんざりさせられていた。間違いなく。でも僕の方はこの男に会うと愉快になった。僕をすごく面白がらせてくれるタイプなんだ。

引用:村上春樹訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)p243

ミスタ・アントリーニ先生宅にお世話になる

ミスタ・アントリーニはホールデンのお気に入りの先生で、ホールデンが以前通っていた学校の先生だ。ホールデンは過去に先生宅に何度か遊びにきたことがある。

ホールデンはアントリーニ先生のことを、機知に富んだ、頭の切れる人物だと評している。

ほんとうになかなか頭の切れる人なんだよ。

引用:村上春樹訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)p325

このアントリーニ先生と、ホールデンとの会話を経て、物語は終盤に向かっていく。

文学的な解説や考察は他に任すとして、ここでは筆者の率直な感想を書いていくことにする。

感想

主人公ホールデン・コールフィールドの人を見る視点や観察眼がおもしろい

『ライ麦畑でつかまえて』は、ホールデンが読者に語りかける形式の物語と、最初の方に書いたが、ところどころに出てくるホールデンの周りの人々にたいする人物描写が見事だと思った。思わずクスッと笑ってしまうようなユーモラスな表現を交えつつ、実に活き活きと描かれている。

例えば、以下のような感じだ。

世の中にはやたら長身で、猫背っていうタイプがいるけど、こいつがまさにそうだった。身長はなにしろ六フィート四インチもあり、歯は見るもおぞましいしろものだった。僕はとなりの部屋に住んでいるわけだけど、こいつが歯を磨いているところを一度として目にしたことがない。歯はいつ見ても、まるで苔が生えているみたいで、ぞっとさせられた。この男が食堂でマッシュポテトやら豆やらなにやらを口いっぱい頬張っているところを目にしたら、君だってきっと気分が悪くなるはずだ。

引用:村上春樹訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)p36

上記の引用した部分は、ホールデンの寮部屋のすぐ隣の部屋の住人「アックリー」という人物についての描写だ。

ユーモラスな表現でクスッと笑える

おもしろくて、思わずプッと吹いてしまう表現があり、電車や待合室などで読むときは注意が必要だ。

例えば、以下のシーンで筆者はクスッときた。

「この部屋はなんかクサいな」と僕は言った。「君の靴下のにおいがここまで漂ってきてるぜ。靴下はときどき洗濯するもんだってことを知ってる?」
「おい、もしここが気に入らないんだったら、どうすりゃいいかわかってるだろう」とアックリーは言った。まったく気のきいたことを言うやつじゃないか。

引用:村上春樹訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)p85

印象に残った言葉

物語の終盤で、ミスタ・アントリーニ先生との会話のシーンで出てきた以下の言葉が印象の残っている。

「不思議と言うべきかどうか、これは本職の詩人の書いたものじゃない。ヴィルヘルム・シュテーケルという精神分析学者によって書かれた。彼はこう記して──聴いてるかい?」

「はい。聴いています」

「彼はこう記している。『未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ』」

引用:村上春樹訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)p319

言葉もそうですが、このシーンのセリフ回しやかもし出す雰囲気が、ややチープな例えになるかもしれないが、アニメや漫画で謎の重要人物っぽいキャラからこの世界の真実を告げられたときのような、ワクワク感というか高揚感があって印象に残っている。

もう一つ、これもアントリーニ先生のセリフだが、以下のセリフが印象に残った。

「ほかにも学校教育が君に寄与するところはある。ある程度長い期間にわたって学校教育を受けているとだね、自分の知力のおおよそのサイズというものが、だんだんわかるようになってくるんだ。それがどういうものにフィットして、更に言うならばおそらく、どういうものにフィットしないのかということがね。そしてしかるのちに、それだけのサイズを持った知力がどのような思考を身にまとえばいいのかが、君にも見えてくるわけだ。そうすることによって君は、サイズに合わない理念やら、似合わない理念やらを試着してみる手間を省くことができる。いちいちそんな試行錯誤みたいなことをしていたら、膨大な時間が無駄になってしまうものね。そして君は自分という人間の正しい寸法を知り、君の知力にふさわしい衣をまとうことができるようになる」

引用:村上春樹訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)p322〜p323

おそらく今、10代や20代の若い人に特に響くセリフではないだろうか。

将来何をやりたいのか、どんな仕事をしたいのか漠然としていてわからないという話がよくある。

そんな時に、重要なヒントを与えてくれる言葉だと思う。

自分の適性はなんなのかを見極め、それにふさわしい衣を身にまとう。いちいちあれこれ試着して試していたら、膨大な時間が必要になってしまう。人生の時間は有限だ。できるだけ早く、自分の適性を見極め、ほかの不得意なことに見切りをつけ、得意を伸ばすことがよりよく生きるために重要なのではないかと思う。

おわりに

名作と呼ばれている作品は、読んでみると何かしら心を揺さぶられるものだったり、心に残る部分があり読んでよかったと思えることが多い。本作『ライ麦畑でつかまえて』も間違いなく読んで良かったと思えた作品でだった。
なんだかんだ、名前は聞いたことあるけど読んだことがないと言うような名作と呼ばれている作品は、ハズレが少ない。

一見とっつきにくそうなので、読もうと決心するのにエネルギーがいることが欠点だけど…。

追記 : 未収録の村上春樹の解説を読む方法

今回紹介した村上春樹訳『ライ麦畑でつかまえて』(キャッチャー・イン・ザ・ライ)白水社版では、残念ながら村上春樹氏による解説を読むことができなくなっている。

一体なぜ…?

その理由については、本書の最後のページに簡潔な文章で、こう書かれている。

本書には訳者の解説が加えられる予定でしたが、原著者の要請により、また、契約の条項に基づき、それが不可能になりました。残念ですが、ご理解いただければ幸甚です。

訳者

村上春樹訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)p362

ええええええ。読めないんかいと、解説を楽しみにしておられた方はたぶん肩透かしを食らったことだろうと思う。何を隠そう筆者もその一人だ。

でも安心してほしい。そんなあなたに朗報だ。

この収録されなかった幻の解説は読むことができる。

なんと、文春新書から出版されている、『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』に収録されていたのだ!

『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(文春新書)のAmazonの概要欄には以下のように書かれている。

「幻のキャッチャー・イン・ザ・ライ訳者解説」を併録。と書かれている

うおおおおおおお。キタ――(゚∀゚)――!!

さらに、本書『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』では、解説が読めるだけではなく、解説が収録されなかった詳しい事情や裏話も読むことができる。

以下、その一部を引用してみる。

長い訳者解説も書き、表紙も決まった。

引用: 村上春樹 柴田元幸『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(文春新書)

これでやっと一安心というところだが、そのときになってまた新たなトラブルが生じた。サリンジャーのアメリカ本国のエージェントから日本のエージェントに、「訳者が本に一切の解説をつけてはならない」という強いトーンのお達しがきたのだ。

引用: 村上春樹 柴田元幸『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(文春新書)

なんと…翻訳も一筋縄ではいきませんなぁ…。

筆者は、この解説をもう読めないと完全にあきらめていたため、読めると知ったときはとても嬉しかった。

上記の引用に「長い訳者解説も書き…」とあることからも、村上春樹氏は解説を気合いを入れて書いただろうに、その解説が載せられないとわかった時はさぞや無念だったことでしょう…。無駄にならなくて良かったよ本当に…。

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