本作は日常の中に潜む雑多な人間群像を巧みに描写している良作だと思う。
だけど、最初はつまらないと思って読んでいた。
なんでつまらないと思っていたのか。
本作はいわゆる短編集なのだけど、その短編のすべてが面白いというわけではなかった。
すくなくとも、筆者の場合はそうだった。
これは、読者が小説に何を求めているかによって変わってくると思う。
筆者の場合、小説を読むのはもっぱら息抜きの意味合いが強く、起承転結があって読者を楽しませてくれる、いわゆるエンタメを求めていた。
そのため、本作に収録されている最初の4編を読んで、肩透かしをくらった結果となったのだ。
そんなわけだから、正直なところ、最初の4編を読んだ時点で読むのをやめようかと思った。
やめようかと思ったけど、いや、やっぱり最後に表題作の「回転する世界の静止点」までは読もうと思いとどまり、その表題作を読んでみることにした。
結論から書くと、その表題作が結構面白かったため、他の短編も興味のあるものから読んでいくことにし、結局全編を読み終えてしまった。
これは面白いぞ!という短編たち
というわけで、本記事ではそんな筆者が本作の中で、これは面白いぞ!というエンタメ性が高くて、おすすめな作品を紹介していきたいと思う。
筆者と同じように、最初つまらなくて途中で読むのを辞めようかと思っていた方や、はたまた、これから本作を読んでみようという方の参考になれば幸いだ。
回転する世界の静止点
まず、外せないのが表題作である「回転する世界の静止点」だ。
途中で読むのを辞めようかと思っていた筆者を思いとどまらせてくれたきっかけの作品でもある。
さて、どんな話なのか。
ひと気のない公園で、お互い夫婦ではない男女が、こっそり会う。つまり逢い引きをする場面を、たまたまその公園に訪れていた主婦がこっそり目撃するという話だ。
この作品の魅力をひとことで言うと、エロチックであるということだ。
密会をしている男女と、その目撃者はお互い向かい側にあるベンチに座っていて、その距離はお互い何を話しているのかが聞こえないくらいには離れている。
そんな中で、目撃者である主婦は本を読んでいたのだけど、まったく興味のない素振りを示しつつ内心は、その逢い引きの現場にものすごく興味を惹かれているという心理描写が見事で、読んでいて色んな意味でドキドキした。
もちろん、その男女同士が行為に及ぶなどといった、そういうシーンがあるわけではないのだけど、心理描写によってとてもドキドキさせられる。
なんだろう。いわゆる目撃者側の視点だけではなく、視点は移り変わり、逢い引きをしている男女それぞれの視点での心情も描かれていて、その目撃者の心情と合わさって、一種のスリリングなドキドキ感がある作品だった。
広場にて
次に紹介するのは「広場にて」だ。
どんな話なのか。
ひとことで言うなら、貧乏な家庭に生まれた少年のサクセスストーリーとなる。だけど、やはりと言うべきか、ただの成功物語で終わらせてくれないのは流石。
サクセスストーリーではあるのだけど、同時にスリリングでもあるのが特徴だと思う。
主人公はいわゆる遊び人なのだけど、それだけはでなく口が軽いところがあり、どんどん成功していくのだけど、これいつかやばいことにならないか?とヒヤヒヤさせられる場面が多々あった。
あと、この短編を語る上で外せないのが、なんといっても伯爵夫人の存在であろう。
主人公の人生を大きく変えることになる彼女は、なんとも魅力的な女性なのだ。
以下に筆者のお気に入りのシーンを引用してみる。
「わたしは、なんにも持っていない人間なの。なぜなら、なんでも持っているから。わかる?」彼女はまた微笑んだ。「あなたも同じね」
引用:パトリシア・ハイスミス『回転する世界の静止点』(河出書房新社)p150
筆者はこのセリフを読んだ瞬間、しびれた。
まるで、映画のワンシーンみたいだと思った。
以上見てきたように、この「広場にて」には、
わずか35ページの短編ながら、魅力的な年上の女性や、下剋上のワクワク感、そしてスリルが詰まっている。
カードの館
最後に紹介するのは、「カードの館」だ。
さて、どんな話なのか。
主人公はその道で有名な贋作コレクター。
ある日、著名な画商の主催するオークションに贋作が本物と勘違いされて出品されているのに気がついた主人公は、その出品者の鼻を明かしてやろうと、意気揚々とそのオークションに参加するが…。といった話だ。
この短編のすごい点は、まず、序盤から登場人物のキャラがしっかりと立っていて読者を一気に物語の世界へと引き込んでくれる点だ。
具体的にどんな風にキャラが立っているのかというと、
まず主人公が贋作コレクターだというのは先ほど書いたとおりだけど、それ以外に主人公は、かつて軍人だった過去があり、当時、欧州の各紙ではそんな彼の武勇伝が報じられた。
人々はその英雄的な武勇伝の真相を本人の口から聞きたがった。しかし、主人公はそんなことは知らないと突っぱね、さらには、各紙が報じたのは゛同じ名前の別人゛だと言って取り合わなかった。
そして、そんな主人公の使用人をしているのが、長身痩躯の男で、かつて偽造旅行券所持の容疑で政府から指名手配されていたことがある人物だ。
捕まれば処刑されるかもしれないのに、呑気に構え、冷静な対応をしたおかげで、彼は主人公の目に留まり、その財力で自由の身になることができたそうな。
とまあ、こんな感じで只者ではないと思わせるキャラ設定で読者を惹きつけてくれる。
そして物語の中に隠された仕掛けによって、最後に主人公も読者もあっと言わせるエンターテイメント性抜群な秀逸な短編となっている。
この「カードの館」は、短編集『回転する世界の静止点』の中で、筆者が一番好きな作品でもある。
読み終わった時は、まるで良質な映画を1本見終わったようだと思ったくらいだ。
おわりに
後で知ったのだけど、本作の著者パトリシア・ハイスミスは、欧米でアガサ・クリスティーと並ぶほどの人気作家なのだそうだ。
アガサ・クリスティーといえば、日本でも良く知られていて、灰色の脳細胞の異名を持つ名探偵ポワロシリーズや、『そして誰もいなくなった』の著者ですっかりおなじみである。
一方、パトリシア・ハイスミスの方は日本では、まだまだ知名度はそんなに高くないのではないかと思う。
何を隠そうこれを書いている筆者も、恥ずかしながら、今回の『回転する世界の静止点』を読むまで、パトリシア・ハイスミスを知らずにいた。
パトリシア・ハイスミスの作品は映画化もされているため、映画好きの人ならもしかしたら知っていたかもしれない。
話は変わるが、今回紹介した短編集『回転する世界の静止点』を手に取ったきっかけは、図書館で本棚を物色していた際、ふと、この本のタイトルが目にとまり興味を惹かれたことだった。
こういう思いがけない出会いがあるので、図書館や本屋さんをぶらぶらするのは好きだ。